彼女ちゃんの「女の道は一本道でございます」ブログ

このブログを読むと万病がウソのように治ります。

キラキラしてる日の話①

 

 

人生で1番キラキラした日。

 

きっと思い出すたびに違う日を選ぶね。

 

でもいつも誰かとのデートの日になるんだと思う。

 

人生で、恋をしていない時期のことはあまり記憶がない。

 

勉強やバイト、仕事に打ち込んで、恋をしていない時期は確かに年単位であるはずなんだけど、何かに打ち込んでる時期は目の前のことに夢中で記憶がない。

 

おそらく、恋をしてない時期の方が長いはず。

 

恋をすると、世界を見る解像度が上がる。

恋愛フィルターとかよくいうけど、私は目の解像度が上がるような気がする。

 

 

 

と、ここまで恋について話してしまったが、これからする話は、私がまだ恋とはなんぞやを知る少し前の不思議な日の話。

 

 

あの日は、もしかしたら夢だったのかもしれない。それくらい現実味がないフワフワした日だった。それか本当に夢なのかもしれない。

 

断片的にしか思い出せないけど、思い出せる限り書いていこうと思う。

 

 

 

確か、13歳だったと思う。

 

私がまだショートカットだった頃。

 

13歳の私は、今の私の性格と違って、とても無邪気で、自由で、リラックスした少女だった。

 

私は、その後の10代で辛い時期を過ごし、内気で自信のない部分が顕著になるのだが、その前の話。

 

中学校入学早々、私は同級生・先輩・保護者に注目されていたらしい。もしかしたら職員にもかもしれない。

 

入学式後、教室の後ろの方でクラスメイトの母親たちが「あの子可愛いわね。」と噂をしているのが聴こえてきた。

 

「自分のこととは限らない」と思っていたら、初対面の男子生徒が「俺の母ちゃんが、君が1番可愛いって言ってるよ!」とわざわざ教えにきた。

 

「ありがとう」と否定せずにお礼を伝え、後ろのお母様にも振り返って会釈をした。

 

お母様方は「まあ...お淑やか...」と礼儀正しさに驚いているようだった。

 

私は幼少期より、両親や祖父母に礼儀作法をそれなりに教え込まれて来た。

 

とくに祖父は絵に描いたような昭和の頑固親父でさらに気性の激しい殿様気質だった。その気性の荒さに昭和はかえって人がついてきたのか、ひとときは地元新聞に乗るほどの高額納税者だったらしく、家で着物を着て踏ん反り返っているような筋金入りの俺様だった。

 

さして悪いことをしていなくても(妻が自分に構わず孫を可愛がったなどのレベル笑)、機嫌を損ねれば最後、小さな私でも容赦なく、台風の日でも外に出された。泣いてお願いしても中には入れてもらえなかった。

 

今思うに、祖父はとても寂しがりで繊細な心の中持ち主だったんだと思う。5人兄弟の中でも最も仕事が忙しいはずの祖父が自分の母親を引き取ったのも、本当はお母さんが大好きだったからじゃないかと思う。

 

「申し訳ございませんでした。」と祖父に深々と詫びることを繰り返すうち、一体何をしたら人は不快なのか、不快感を与える可能性があるのか、人格形成とともに感覚的に身についていった。

 

すると祖父は「お前は孫の中で1番見込みがある」と褒めてくれるようになった。(その教育が正しかったかはわからない)

 

だから私は、物心がついてから、人前で走ったり騒いだりしたことはないし、人前で泣いたことも怒ったこともない。欲しいものがあって駄々をこねるなんてもっての外である。

 

褒められたら、謙遜せず、「いたみいります。」とお辞儀をしてきた。(すごい子だ笑)

謙遜を不快に感じる人もいる。祖父は、謙遜や遠慮を特に嫌っていた。

 

 

そんなこんなで、小さな学校だったのもあり、入学式当日にして保護者に顔を知られる存在になってしまった。

 

そしてもちろん(?)、私の後ろの席だった男子生徒は私に一目惚れし、後約4年間計20回以上私に告白を繰り返すと言う超粘着ぶりを発揮する。

 

記憶にないが、入学式では隣の席で、彼はとんでもなく緊張していたらしい。後に「僕は君と結婚すると入学式の日に決めたんだ」と熱弁されたが、知ったこっちゃあない。

 

そして、入学後数日で、男子生徒の間では、「私ともう1人の女子生徒のどちら派か?」(もう一方は派手目な顔立ちだった)という派閥が出来る。

 

余談だが、もう1人の女子生徒は後に私を非常に陰湿に虐めるようになる。笑

 

ある日、その女子生徒と私は体育館に呼ばれた。到着すると、男子生徒の二つの大きな円が形成されており、それぞれその中心に立つよう命じられた。

 

私はとても嫌だったが、「公平を期すためにこう言う形になった」と学級委員長に説明を受け、渋々と円の中心に座り、順番に質問に答えていった。途中で面倒になり「女の子が好きなんです」と答え、その場を立ち去ったような記憶がある。

 

余談だが、もう1人の女子生徒はノリノリであった笑 ていうかその時点でもう、彼氏が1-2人は居たと思う。

 

また、入学前に一度学校へ行った時、数人の女子生徒(つまり中2・中3の先輩)に「入学したら仲良くなろうね!!」と連絡先をきかれていたので、

(実際はそこまで仲良くなってはいないのだが)

新入生チェックリストに入っていたらしい。

 

約1学期間に渡り、中学はもちろん、高校の先輩までちょこちょこ教室へ来ては「話そう〜」「アドレス交換しよ〜」と呼び出されていた。

 

当時からガードが固かった私は「ケータイ持ってなくて🥹」などとよく嘘をついていたのだが、どこかからアドレスは漏れるもので、よく知らない人からメールが来ていた。

 

 

 

私は特別に背が高いわけでもないし、特別に目が大きいわけでもない。お金持ちの同級生たちに比べれば、家が超お金持ちとかでもない。決して目立つ出立ちではないはず。

 

でももし、一目置かれていたことに理由があるとしたら、安心感を与える素朴な顔立ち、生まれつきの色白、幼少期から叩き込まれた所作、周囲を観察する力、年齢不相応の落ち着き、知識量、その様々を総合した結果なのではないかと思う。

 

 

ここでようやくキラキラした日の話になるが、

私はその日、彼に「僕は君のいちばんの魅力は目だと思う。不思議な、神秘的な、ミステリアスなアーモンドアイをしてるんだ。」と言われ、初めて自分の目を褒められ、意外に感じた。

 

私は自分の目を良いと思ったことはなかったから。ぱっちり二重じゃなくて、でもキリッとした一重でもなくて、どっちつかずな目だなと思っていた。

 

 

ここまで、私がいかに中学入学初期に無双していたかを語ったが、私は以降、没落する笑

 

盛者必衰の理。

少しばかり出る杭は集団に打たれるのである。

出過ぎれば打てないのだが、私は出すぎるほどの性格ではないので、全方位から大量のトンカチで打たれてしまった。

 

まあ、そこから10年ほどかけて

見事這い上がるのですがね。

 

つづく