こんにちは。アラサー秘書の彼女ちゃんです。台風6号チャンミーが通り過ぎていきました。手前味噌の知識ですが、アジアにおいては、2000年から台風は140個の名前の順番が決められ、それらを順番に繰り返し使っているそうです。だいたい5〜6年で使い切るので、使い切ったらまた1番目に戻るそう。リストは、アジア14カ国から10個ずつ持ち寄られた名前がベースとなっており、甚大な被害をもたらす場合に限り特別な名前に改名するそうです。日本からは「コイヌ」「コップ」「テンビン」など星座に関する名前が提出されています。(可愛い。)台風豆知識でした。
そんな中、わたくしは現在、気管支喘息でメルトダウンしております。今も薬の影響で眠くてたまりません。切実にやさしい彼氏にヨシヨシされたいです。いとヨシヨシされたし!!!誰かわが頭をヨシヨシしたまへ!!!美男子に優しくさればや!!
自業自得なんです。ひとりで自由に生きてきてしまったツケが体調不良時にやってくる。それが独身でごじゃります。こんなにかわいいのに、優しくされないままばばあになってしまいました。後悔先にたたず。この夏こそは、優しい彼氏を作りたいです。短冊に書きます。アラサーの願い事、重みがちげえ。
そんなふざけたことを綴っていますが、「ヨシヨシしてくれる彼氏」は実は結構大事なのかもしれません。もっと大切なのは、「自分で自分をヨシヨシすること」。それを今日は思い知ったので、少し重い内容になりますが、綴らせていただきます。
人間の生死について。
大人になってから出会い、とても仲良くしている友人Sの身に起こった出来事です。
今日は、Sとじっくり話す機会があり、1時間ほど話して「結局他人のことは救えないんだ」という話題になった際(どんな話題)に「実は...」と涙を堪えながら話してくれました。
Sの旧友が、自ら命を絶ってしまったそうです。
Sはその事実を数日前に知ったのですが、亡くなってから半年以上が経過しており、旧友の家族は未だ現実を受け入れられないのか、周囲に知らせられずに時が経ってしまったようです。そんな中、Sは、たまたま知ってしまったそうです。
今まで何も知らなかったとは言え、お通夜にもお葬式にも行けず、お線香をあげることもできず、偲ぶこともできない。
「彼女は成仏できたのだろうか」
「なぜ相談してくれなかったのか」
「なぜ連絡してあげなかったのか」
「ここ数日、そのようなことばかりを考えている」
「でも、おなかは空くんだけどね。笑」
と、セブンイレブンの夕方揚げ物半額セールに通っていることを、笑いながら話してくれました。ほんとうに優しい心の持ち主だと思いました。
ご家族も周囲に知らせていない中、誰にも話すことができない。Sの気持ちを考えて、わたくしも胸が傷みました。
自死したSの旧友は、躁鬱病を患っていたそうで、それを友人たちにも伝えていましたが、集まったときには、それを感じさせないほど、明るかったそうです。お写真を見せていただきましたが、お顔立ちも綺麗で、お肌も滑らかで、羨ましいほどでした。
容姿端麗、聡明。外部進学で名門私大を卒業、その後、高校時代からのお相手と結婚し、家も購入していました。一見、誰もが羨む順調な人生。しかし、内情は異なりました。
高校時代からお付き合いなさって結婚した旦那さまとは性格の不一致で離婚。その後、精神的に不安定だったため、お仕事に就けず、路頭に迷っていたそうです。
元夫はまだ、彼女が亡くなったことは知りません。
きっと真面目な方ですから、公的機関に頼ることもできなかったのではないでしょうか。「実はたくさんの手が差し伸べられている」ということに彼女が気づけなかった社会構造に疑問を抱きます。
職場は、働くだけの場所ではありません。
病院は、薬を出すだけの場所ではありません。
家族は、単なる戸籍上のつながりのことではありません。
公的扶助は、お得な制度ではありません。
本当に困っている人を助けるため、国民の税金で運営している制度です。誰だって、いつどうなるかわかりませんから、わたしたち国民で支え合いましょう、それが、国家の治安維持につながります、という仕組みです。本来は。
彼女のご両親は、精神や身体のご病気を患っていたため、ご実家も頼れなかったそうです。
そして、お姉さま夫婦を頼って同居されていましたが、東京で3人で暮らすためのスペースを確保するのは容易ではないことは想像に容易いです。
お姉さまと口論になり、カッとなって隣の部屋に走って行かれ、しばらくして、静けさに違和感を覚えたお姉さまが部屋を覗いたところ、そこに彼女の姿はなく、窓が開いていたそうです。
土地のない都心は投身が頭に浮かびやすい環境です。東京は、いろんな人がたくさんいて、いつだって、ほんのりと「死」が隣り合わせにあります。
空に高く伸び続ける、この国の首都。わたしたちは日々、小さな東京という街を、地中深く潜ったり、空高く昇ったり、気づかぬうちに、相当な距離の下降と上昇を繰り返しています。物理的な刺激は、知らず知らずのうちに、精神の上昇や下降にまで影響を及ぼします。
東京は生きてます。
それが魅力でもあり、恐ろしさでもあります。
大きな怪物のような街です。
うんとキラキラ輝いている部分もあれば、その分、永遠に排出されることのないヘドロが溜まっているところもある。
どちらかが欠けると、どちらも成り立たない、絶妙な相関関係で構成されています。
遠くで見る分には、美しく、魅力的。
近づくにつれ、その美しさは、きれいなものだけで構成されていないことが見えてくる。
名画のように、あらゆる色が混ざって織りなす世界だと、それに気づく頃には、もう遅い。
どんなに綺麗事を並べても、有事の際に自分の身を守ることを出来る者しか生き残れない、そのように矯正される適性のあるものしか生きていけない街だと、わたくしは思います。
何も起きてない時、楽しい時に、助け合おうと慣れ合おうと、関係ありません。食べ物がない、お金がない、人は困った時に本性が顕になります。
誰かに手を差し伸べた隙に、自分の命が脅かされるかもしれない。限界をとうに超えて肥大化し続ける、何もかもが多すぎる、普通ではない街です。
「富と屈強さ」か、突出した「富」か「屈強さ」のいずれか、これらなしには生きていけません。
1200万人も人間がいて、だれも彼女を救えませんでした。それは田舎でも同じかもしれませんが、たとえどれだけ多くの人間がいても、どれだけ多くのコンテンツがあっても、だからと言って、誰かが助けてくれる確証はない、ということです。
家族もいた、友人もいた、一時期は結婚関係にあった元夫もいた。だけど、最も救われる方法が、死だった。
彼女は、計画的な自死ではありませんでした。身辺も全く整理されておらず、本人も家族も友人も、彼女が明日も生きている前提で生活していた中で、突発的に亡くなってしまいました。
友人Sは「なぜ」と何度も口にしていました。
「でも、たくさん、小さな原因はあったように思う。」とも話してくれました。
有名私大の外部進学者が、大勢の内部進学生と馴染むのは大変なこと。
高校の同級生と結婚と離婚をしましたが、「この人でいいのかな?」と本人も周りも思うような方だったそうです。
わかりやすく寄り添うタイプの方ではなく、「頼んでも一緒に精神科に行ってくれない」と友人にこぼしていたそうです。
友人たちには気丈に振る舞い、ご実家の両親も頼れない中、お姉さまだけが頼みの綱だった。
お姉さまも本人も大変お辛かったと思いますが、そんな最後の砦のお姉さまと口論になり、まるで世界にひとりぼっちかのようなお気持ちになってしまったのではないかと、わたしは彼女を知りませんが、想像しました。
わたくしは彼女を直接知りませんが、同じ歳の女性が亡くなることは、他人事ではないと感じています。
人には、どうしても自力で立てない時期があります。本来、「自分で自分を愛することが出来れば、無敵!」なのですが、それがわかっていても、度重なる苦労で、そう出来ない時期があると思います。
そんな時、無条件に「ヨシヨシ」としてくれる人がそばにいたらいいな、と思いました。
楽しい時に、そばにいる。
困った時に「も」そばにいてくれる。
たとえそれが続いても、ずっとそばにいてくれたり、そうやってそばにいてくれる人の気持ちを尊重して、「元気になろう」と思うことも、また「愛」だと思います。
そんなの綺麗事で、たとえ親子だろうと、恋人だろうと、夫婦だろうと、簡単にできることではないのかもしれません。
でも、やるんです。
いつかどこかで読んだような記憶に、わたしの大切にしている言葉がありますので、ご紹介します。
「大切なのは、毎日そばにいる人を抱きしめること」
大切だから、親子だから、夫婦だから、抱きしめるのではなくて、その日がどんな日でも、今日そばにいて一緒に過ごせたことに感謝して、抱きしめることが大切だと思います。(抱きしめる相手いないじゃん、と突っ込まないで。)
恥ずかしかったら、心の中ででもいいです。
ただ、わたしはそれでも、週に一回はハグしてほしい。笑
そしてもう一つ。
わたしの曽祖母の言葉。
「お天道様、ありがとうございます」
ひとりぼっちのときでも、今日も太陽が体を温めてくれたことに感謝する。
たとえ雨でも、雨に感謝する。
雨雲の向こうにある太陽を想像して、感謝する。
わたしが生まれた時には他界していて、曽祖母には会ったことはありませんが、家族からきくこの曽祖母の言葉が、大好きです。
大人になるにつれ、愛は循環するものだと実感します。
とはいえ、ここまで綴ったものは精神的なアプローチばかりですから、役立てるのは難しいですよね。
これから、実践的な対処を紹介しますね。
だれにでも浮き沈みはあれど、体も心も健康でないと、愛情に気づけません。
愛情を受け取れないほど、自分を追い詰め続けてはいけません。
自分を愛する方法は数あれど、わたしが推奨することは、「ごはんを食べることだけ考えること」です。
美味しいご飯に救われた経験が何度もあります。
愛じゃおなかは満たせませんから、まずはご飯を食べて、おなかを満たしてから、考える。
おなかが満たされたら、寝る。
そしたらまた、おなかが空くから、美味しいと思えなくても、とにかく食べるのです。
友人Sはきっと、明日も揚げ物半額セールに行くでしょう。カロリーオーバーでも、元気になれるなら、それでいいです。
太っても、あとで痩せればいい。
人は食べないと、死にます。
反対に、食べさえすれば、生きられます。
だから、とにかく食べる。
何があっても食べる。
泣きながらでも食べる。
「食欲がないから食べない」は、「わたしは生きる最低限の努力をしていません。誰かこんなわたしを助けてください。」に等しいです。
陸上自衛隊のレンジャー訓練のつもりで、食べられるものを探して、サバイブしてください。
友人Sの悲しみが癒えますように。
Sのお友達が、天国で笑って過ごせていますように。
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